子どもの頃から絵に夢中になり、大阪芸術大学へ進学。版画作家として制作活動に取り組みながら同大学の副手として勤務をしていた平瀬恵子さん。同郷の夫が徳島で働くことになり鳴門市にUターン移住します。結婚・出産・子育てを経て、2児の母として、また半農版画作家として自然に囲まれたライフスタイルを送りながら、雑誌表紙や新聞コラムへの寄稿などにも取り組んでいます。
徳島県内の生産量70%近くを持ち、京阪神地域を中心に高い評価を得ている鳴門の梨。シャリシャリとした食感と豊かな果汁が特徴で、品種によって違った良さがあり、種類が多いのも魅力です。 この「鳴門の梨」と全国でもトップクラスの知名度と味を誇る、なると金時をつくっているのが、カネヒファーム。特に梨は、歯ごたえがよく瑞々しさが特徴の「幸水」、柔らかい肉質で滴り落ちるほどの果汁を含み、酸味感が特徴の「豊水」、そして柔らかい果肉と非常に強い甘みを持つ「秋麗」を出荷しており、好評を博しています。
そんな農家で生まれ育った平瀬恵子さん。今では半農版画作家として活動していますが、初めから農業に関心があった訳ではなく、ごくごく普通の女の子だったようです。 「小学生の頃はマンガが好きなどこにでもいる女の子。好きな絵を書いては友達に見せていました。好きな漫画家が芸大出身であったことからそういう道があるんだと思い、小学生高学年の頃には漠然と芸大への道を考えていましたね。将来の自分が農業をするなんて夢にも思いませんでした。」
地元の高校を卒業後は、大阪芸術大学美術学科に入学。自分の気質と表現方法としてマッチする版画を選択し、作家としてのキャリアをスタートさせました。その後は、全国大学版画展、徳島版画展への出展の他、青森国際版画展、山本鼎版画展、アワガミ国際版画展に入賞するなど大阪・東京等の都市部での展示会を中心に精力的に活動してきました。
転機が訪れたのは、芸大卒業後1年が経ったころ。同じく大阪で就職していた同郷の夫が徳島で働くことになり、急きょ故郷鳴門へUターン移住することになりました。移住後は出産、子育てを経験し、繁忙期には実家の農業を手伝いながら、大学で広報関係の仕事に携わっていました。 「大阪にいた当時は、卒業した大阪芸術大学で教授と学生をサポートする「副手」と呼ばれる大学職員でした。まだ勤務が浅いこともありましたし、活動をしていく上で都市部の環境には後ろ髪を引かれる思いもありましたが、今となっては自然環境や、生活環境はもちろん、同年代の女性が多く農業に携わっており、みんなで集まって様々な相談がしやすい環境等を考えるとUターンして良かったなと感じています。」
この頃、丹精込めて作った美味しい作物が規格外だと出荷できず捨てざるを得ないことを知り、当時はまだ周りに利用している人の少なかったフリマアプリを使ってネット販売に挑戦。初めは買い手がつくのか不安があったものの、出品のたびに即完売。美味しいと言ってくれるお客さん、リピートしてくれるお客さんと直接コミュニケーションがとれる販売を通して徐々に農業という仕事に魅力を感じていったようです。 「栽培・出荷だけという農業へのイメージがガラッと変わりました。心を込めて作った商品を通じて、消費者の方の顔が見える、コミュニケーションが取れる魅力的な仕事なんだと認識があらためられました。「鳴門の梨」ではなく、「カネヒファーム平瀬の梨」と認知されることにやりがいを感じます。」
その後は、地元の農産物直売所で1年間パートをしたり、セミナーに参加しブランディングを勉強するなどし、販売方法やお客さんの買い筋を徹底的に研究。 売り方やパッキング、商品の見せ方や、検品の厳しさによって売れ行きが変わることを知り、傷や虫刺されなど、素人目にはなかなか分かりづらいものもしっかり検品するなど細かい心配りが市場や、お客さんの信頼を得ているといいます。 また、贈答用にも買い求めやすいように手提げバックに入れた商品を販売したり、小学生のお子さんが考えたという「金時くん」と「ひら梨ちゃん」をカネヒファームのオリジナルキャラクターにして他の商品との差別化をする工夫もしています。陳列棚にも商品の魅力を分かりやすく紹介したポップを貼り付けるなど、細かい目配りでディスプレイの見栄えを良くされているのは、半Xであるデザインのスキルが活かされているとのこと。 お歳暮時期には、同年代のレンコン農家とのコラボ商品として、なると金時とレンコンの詰め合わせギフトセットを販売し好評を得たこともありました。発注に応じて商品を用意するため鮮度は抜群。年末と年始でパッケージデザインを変えるなど、季節性を持たせる工夫を楽しみながらされたよう。農産品ひとつとっても他にはないオリジナリティーを追求するのは作家としての気質がいい影響を与えているように思います。
平瀬さんを語る上で欠かせないのが版画作家としての一面です。平瀬さんの作品の特徴は自然物をテーマにしながらも洗練された優しいアウトラインとシルクスクリーン版画ならではのナチュラルで繊細な色彩のグラデーション。女性的な柔らかさの中にも鮮烈な力強さを感じる作風は、ふわりと部屋を明るく照らすやさしさを持つ一方、見るたびに新しい発見を与えてくれる深みがあります。 「鳴門にはコウノトリが降り立つ蓮畑が一面に広がっていたり、世界最大と言われる鳴門の渦潮があったりと、自然に囲まれた環境があります。そうした環境で育ったので感性は小さい頃から培われたんじゃないかと思います。最近は咲き誇る花よりも、役割を終え最後の輝きを見せる“枯れ”に惹かれることがありますが、色んな人生経験が表現としてそのまま表れている感じはします。ただ、変わらないものもあります。それは見てくれる人の生活に寄り添ってあげられる作品でありたいという気持ちです。昔、家族のかかりつけ病院に飾られていた、岡田まりゑさんの作品を見たことがあります。診察の付添の際に何度も見ていましたが、ある日、家族が入院した日の夜に暗い廊下の前を通ったときに、静かに励ましてくれるような印象を抱きました。そういった経験から私も誰かの生活に寄り添えるような物を作りたいと思っています。」
お子さんも大きくなり作家活動も精力的に続けられている平瀬さん。人の役に立つのであればお手伝いしたいと、最近では、徳島新聞コラムや挿画、雑誌の表紙絵に加え、県内CATVへの出演やカルチャースクール講師も務めています。展示会が近づくと創作活動が夜中に及ぶことも多々あるようですが、家族と役割分担をしながら、本当の意味での豊かな生活を体現されていました。 「務め仕事だと一日パソコンに向かっていなければならなかったりして、制作活動とは全く別の仕事、オンとオフがあるという印象ですが、農業に携わっていると自然からインスピレーションを受けられる機会が多く、制作活動にいい影響を与えてくれます。半農半Xのライフスタイルは、生活と仕事と制作活動が一つに繋がって互いにいい影響を与え合うものだと感じます。」
農業と版画作家。職種は違えども商品や作品の先に必ず人がいることに変わりはなく、少しの変化への気づきや気配りをするという本質はどちらにも差はないと笑顔で語る様子は、自然豊かな場所で四季の変化や、命の美しさに触れられる農ある生活あってのことなのかもしれません。
半農半Xに挑戦する中で、自分たちで畑を用意して専業に近い形で農業に取り組む場合は、家族や周りの人たちの助け、そして挑戦を続けるモチベーションは欠かせません。農業と聞くと世代が上がって年配の方が多いと思われがちですが、実は若い世代も多く、作物は違っても、鳴門は人と人の距離が近いので農業という共通の話題ですぐに友達はできると思います。野菜も魚も美味しいし、大阪などの都市部へのアクセスもいいので、鳴門はチャレンジしやすい環境だと思います。